スペイン、タラゴナのカステル体験:人間の塔に宿る共同体の精神と挑戦
人間の塔が織りなす情景を求めて
私がスペイン、カタルーニャ地方の都市タラゴナを訪れたのは、この地で開催されるユニークな祭り「カステル」を体験するためでした。カステルとは、「人間の塔」を意味し、数段から十数段にもなる人間でできた巨大な塔を組み上げ、その高さを競う伝統文化です。ガイドブックには写真が載っている程度で、その背景や深部に触れる機会は多くありませんでした。しかし、重なり合う人間の身体が一体となり、驚くべき高みを目指すその姿に、私は単なる妙技を超えた何か、深い共同体の精神が宿っているのではないかと強く惹かれ、この祭りへの参加を決意いたしました。
広場に満ちる熱気と緊密な「コラ」
カステルの主要な舞台となる広場は、本番が近づくにつれて尋常ではない熱気に包まれていきました。色とりどりのシャツを着た人々が集まります。これは各「コージャ(Colla)」と呼ばれるチームのユニフォームであり、それぞれのチームが長年の練習を積んできた同志であることを示しています。
カステルが始まる合図とともに、まず「ピニャ(Pinya)」と呼ばれる土台部分が形成されます。これは数百人、時には千人以上もの人々が互いに肩を組み、密集してできる強固な「人間の地盤」です。私も見学者のエリアから少し離れた場所で、その形成される様子を間近で見守りました。参加者たちは驚くほど自然に、しかし迅速に、互いの身体を寄せ合い、一つの塊となっていきます。その間には、チーム内の指示だけでなく、長年の信頼に基づいた無言の連携が感じられました。この「ピニャ」が安定しているかどうかが、その上の塔の成功を左右する最も重要な要素なのです。彼らが作り出す地面に吸い付くような緊密さと、そこから立ち上る熱気は、単なる群衆とは全く異なる、組織化された強い力を感じさせるものでした。
塔が描く緊張と達成のドラマ
ピニャが固まると、いよいよその上に「トロンク(Tronc)」と呼ばれる幹部分が組み上げられていきます。屈強な男性たちが下層を固め、その上にまた次の層が、さらにその上に次の層がと、次々に人が重なっていきます。それぞれの段には特定の役割を持つ人々が配置され、互いのバランスを取りながら慎重に、しかし淀みなく登っていきます。彼らの真剣な眼差し、引き締まった表情からは、一瞬たりとも気が抜けない緊張感が伝わってきます。
そして、最も感動的な瞬間は、最も軽い子供、通常5歳から10歳くらいの「アネア(Anxaneta)」が塔の頂上に到達し、片手を上げる時です。この瞬間をもってカステルは完成とみなされます。小さくも勇敢なアネアが、高層ビルに匹敵するような高さの頂上で旗を掲げるその姿には、広場中の人々から割れんばかりの歓声と拍手が送られます。
しかし、カステルの挑戦は完成だけではありません。「ディスカーレガ(Descarrega)」と呼ばれる、塔を解体する過程も成功の一部とみなされます。塔が組み上がるスピードだけでなく、安全かつ迅速に解体できるかも重要なのです。時には、完成目前や解体途中で塔が崩れてしまうこともあります。その時の衝撃と落胆は大きいものですが、驚くべきは、崩れた瞬間すぐに周囲の人々が倒れてきた人々を支え、怪我人が出ないように協力する姿です。そこには失敗を責める空気は一切なく、お互いを気遣う深い共同体の絆が見られました。
カステルに宿る歴史と共同体の精神
カステルの起源は18世紀末、タラゴナから少し離れたヴァルスという町で始まった宗教行列における踊り「モイシャレンガ」の終盤に組み上げられた塔に遡ると言われています。最初は2、3段程度の簡単なものだったようですが、時代と共に技術が洗練され、段数も増えていきました。単なる余興から、それぞれの町や地域、そしてコージャの誇りをかけた文化行事へと発展していったのです。
カステルは、単に力自慢やアクロバットではありません。そこには明確な役割分担、互いへの絶対的な信頼、そして共同体への献身が必要です。ピニャとして土台を支える人々は、塔の上で重圧に耐える人々を支えるだけでなく、万が一崩れた場合のクッションとしての役割も担います。上の段に立つ人々は、下の段の人々を信頼し、自身のバランスと動きを正確にコントロールしなければなりません。そして、最も高い位置に立つアネアは、その小さな身体にチーム全体の成功と期待を背負っています。
カステルに参加する人々、特に地元のコージャのメンバーにとって、カステルは生活の一部です。毎週のように練習を重ね、体力と技術を磨き、何よりもチームワークを築き上げます。私が広場で出会ったあるピニャの参加者は、「カステルは家族のようなものだ。ここで培われる信頼関係は、祭りだけでなく私たちの日常生活にも活かされている」と語っていました。世代を超えて受け継がれる技術や精神、そして何よりも「皆で一つの目標を達成する」という強い連帯感が、この文化を支えているのです。
体験から得た学びと読者への示唆
タラゴナでカステルを体験して、私は共同体の力の偉大さを改めて認識いたしました。一人では成し遂げられないことも、強い信頼と明確な目的意識のもとに集まれば、驚くべきことが可能になる。人間の塔は、まさにその象徴であると感じました。成功した時の歓喜、崩れた時の支え合い、その全てが、人として、また社会の一員としての在り方を深く考えさせるものでした。
もし次にこのカステルに参加したいとお考えでしたら、いくつかの点をご留意ください。まず、観覧場所です。広場は非常に混雑しますので、早めに場所を確保することをお勧めします。特にピニャの周囲は熱気と危険が伴いますので、少し離れて全体像を捉えるのも良いでしょう。また、カステルは予期せず崩れることがありますので、常に周囲の状況に注意を払い、安全な距離を保つことが重要です。水分補給や日焼け対策も忘れずに行ってください。そして何より、この祭りが単なるパフォーマンスではなく、この地の人々が何世代にもわたって大切に守り、育んできた文化遺産であることを理解し、敬意を持ってその場に臨むことが大切であると考えます。
タラゴナのカステルは、単なる「人間の塔」を眺める体験以上のものを与えてくれます。それは、古くから続く伝統、共同体の強い絆、そして人間が協力して限界に挑戦する姿から、多くの学びを得られる貴重な機会となるでしょう。この特別な体験が、皆様の次なる旅のきっかけとなれば幸いです。