フェスティバル体験レポート

ハンガリー、モハーチのブショーヤーラーシュ体験:異形が迎える春と共同体の祈り

Tags: ブショーヤーラーシュ, ハンガリー, モハーチ, 祭り, 伝統文化, 無形文化遺産

ハンガリーの冬を追い払う異形の祭り、ブショーヤーラーシュへ

広大なパンノニア平原の南端、ドナウ川沿いに位置する小さな町、ハンガリーのモハーチ。この町には、毎年冬の終わりに開催される、他では見られない奇妙で力強い祭りがあります。それが「ブショーヤーラーシュ(Busójárás)」です。毛むくじゃらの恐ろしい仮面をつけた「ブショー」たちが町を練り歩き、大騒ぎをしながら冬と悪霊を追い払うというこの祭りは、その独特な様相から長く私の関心を集めてきました。ガイドブックにはない、その土地の人々の暮らしに深く根差した祭りの熱気を、肌で感じてみたい。その一心で、私はモハーチへと向かったのです。

街を満たす異形の咆哮と熱狂

祭りの期間中、モハーチの街は非日常の空気に包まれます。特にクライマックスとなる日曜日には、何百人ものブショーたちが街の中心部に集結し、その迫力は圧倒的です。羊の毛皮をまとい、木彫りの恐ろしい仮面をつけた彼らは、手に木槌や音を鳴らす道具を持ち、地鳴りのような咆哮をあげながら練り歩きます。その姿は一見すると恐怖を感じさせますが、よく見ると仮面の表情は一つとして同じものがなく、どこかユーモラスなものも存在します。

彼らはただ歩くだけではありません。観客に近づき、軽い悪戯を仕掛けたり、子供たちを追いかけたりします。しかし、そこに悪意はなく、どこか温かみのある交流です。五感を刺激するのは、ブショーたちの放つ独特の匂い、そして彼らが鳴らす騒がしい音です。牛の角笛、鈴、木槌の音。これらの音が混じり合い、街全体を振動させます。その音と、ブショーたちの動き、そして観客の熱気が一体となり、抗いがたい熱狂を生み出していました。

祭りのハイライトの一つは、ドナウ川を木製の船で渡ってくるブショーたちの姿です。これは祭りの起源とされる伝説に基づいた再現であり、歴史の一幕を見ているかのような厳粛さも感じられます。その後、彼らは広場に集まり、巨大なかがり火を囲んで踊り狂います。燃え盛る炎が夜空を焦がし、ブショーたちの影が怪しく揺れる光景は、太古の儀式を見ているかのようでした。冬を象徴する案山子を燃やすフィナーレは、長い冬の終わりと、来るべき春への強い願いを象徴しているように感じられました。

冬と悪霊を追い払う太古の祈り:ブショーヤーラーシュの文化背景

ブショーヤーラーシュの起源にはいくつかの説がありますが、最も有名なのは16世紀、モハーチがオスマン帝国軍に占領されていた時代に遡る伝説です。この伝説によれば、オスマン軍の侵攻から逃れるために湿地に隠れていた住民たちが、恐ろしい仮面をつけて夜中にオスマン軍の兵舎に現れ、彼らを恐怖に陥れて追い払ったとされています。この伝説は、抑圧に対する抵抗の象徴として語り継がれています。

しかし、より深く見ると、ブショーヤーラーシュはスラヴ系のショカツ人(Šokci)の伝統に根ざした、冬を追い払い春の到来を祝うという、さらに古い異教の儀式と結びついています。異形の仮面は、冬の寒さや悪霊、あるいは死そのものを象徴し、それを威嚇し、追い払う力を持つと考えられています。燃え盛るかがり火は、太陽の力を呼び覚まし、大地に生命力を取り戻すことを願う儀式でしょう。これは単なるお祭り騒ぎではなく、自然のサイクルと深く結びついた、人々の生存に関わる切実な祈りなのです。2009年にはユネスコの無形文化遺産にも登録され、その文化的価値が世界的に認められています。

祭りを受け継ぐ地元の人々の誇り

この祭りは、地域の人々によって支えられ、受け継がれています。ブショーの仮面や衣装は、多くの場合は家族やコミュニティで作られます。木彫りの仮面職人、毛皮を扱う人々、衣装を縫う人々。祭りの準備は単なるイベントの準備ではなく、コミュニティ全体の営みです。

街を歩いていると、仮装していない地元の人々も皆、誇らしげな表情で祭りを迎えているのが分かります。観光客に対しても非常に友好的で、言葉は通じなくとも、笑顔やジェスチャーで祭りの楽しさを分かち合おうとしてくれます。ある露店で伝統的な焼き菓子を買い求めた際、お店のおばあさんが「この祭りは私たちの魂だ」と身振り手振りで語ってくれたのが印象的でした。祭りは彼らにとって、祖先から受け継いだ歴史であり、コミュニティの絆を強める大切な機会なのです。子供たちが真剣な顔で小さな仮面をつけて歩く姿からは、この伝統が未来へと確かに受け継がれていく力強さを感じました。

異形の中に見た、人々の素朴な願いと希望

ブショーヤーラーシュに参加して得られた最も大きな気づきは、恐ろしげな異形の背後にある、人々の素朴で力強い願いに触れられたことです。冬の厳しさを知り、春の恵みを待ち望む気持ちは、国や文化を超えた普遍的なものです。異形の仮面は、その願いを込めた「おまじない」であり、自然の力に対する畏敬と、それに立ち向かう人間の生命力の象徴のように思えました。

この祭りは、単に見るだけでなく、その熱狂の中に身を置くことで初めて理解できる深みがあります。音、匂い、人々のざわめき、そしてブショーたちの予測不能な動き。これらすべてが合わさって、抗いがたい生命のエネルギーを生み出していました。それは、現代社会では忘れられがちな、人間が自然の一部であり、そのサイクルと共に生きているという感覚を呼び覚ましてくれるものでした。

次にモハーチを訪れる方へ

ブショーヤーラーシュは毎年2月下旬から3月上旬にかけて開催されます。開催時期は年によって異なるため、事前に公式サイトなどで確認することが重要です。祭りの期間中はモハーチ市内の宿泊施設は非常に混み合いますので、早めの予約をお勧めします。ブダペストからモハーチへは列車やバスでアクセス可能ですが、本数が限られている場合もありますので、交通手段の計画も慎重に行う必要があります。

祭りに参加する際は、動きやすく暖かい服装が良いでしょう。屋外でのイベントが中心ですし、2月下旬のハンガリーはまだ寒さが厳しいこともあります。また、ブショーたちは観客に水をかけたり、軽い悪戯を仕掛けたりすることがありますので、濡れて困るものや高価なカメラなどは注意が必要です。そして何よりも、オープンな気持ちで祭りの熱狂に飛び込んでみてください。異形の姿に最初は戸惑うかもしれませんが、その中に宿る人々の願いと、共同体の温かさに触れることができるはずです。

この祭りへの参加は、単なる観光体験を超え、異文化への深い理解と、人間が共有する根源的な願いに触れる貴重な機会となりました。もし、あなたがガイドブックには載らない、生きた文化の鼓動を感じたいと願うなら、ハンガリーのモハーチでブショーヤーラーシュの異形たちが迎える春に立ち会ってみる価値は大きいでしょう。