マリ、ジェンネの泥モスク塗り替え祭り体験:泥が紡ぐ信仰と共同体の絆
泥の都ジェンネへ:塗り替え祭りに惹かれて
西アフリカ、マリ共和国に位置するジェンネの旧市街は、泥レンガ造りの素晴らしい建築群が並び、世界遺産に登録されています。中でもひときわ目を引くのが、グランド・モスクです。この壮麗な泥のモスクは、年に一度、雨季が始まる前に地域住民総出で補修される「塗り替え祭り(Crépissage de la Grande Mosquée)」によって守られています。この祭りこそが、私がジェンネを目指した理由でした。
私がこの祭りに興味を持ったのは、単に珍しい光景を見たかったからだけではありません。乾期にひび割れた泥の壁を、なぜ現代の技術に頼らず、数千人もの人々が手作業で塗り直すのか。そこに息づく共同体の精神や信仰の形に触れたいという強い思いがありました。ガイドブックにはあまり詳しく載っていない、この「生きた伝統」の現場に立ち会うことは、きっと文化の深層を理解する貴重な機会になるだろうと感じていたのです。
祭り前夜の静かな高揚と泥の準備
祭りは通常、朝早くから始まりますが、その前夜から町には特別な空気が満ちていました。男性たちは祭り用の泥を準備するため、夜通し作業を行います。モスク近くの広場に積み上げられた大量の泥は、近くのバニ川から運ばれた粘土質の土に水や米の籾殻などを混ぜて作られます。この泥は、壁に塗りやすく、かつ強度を保つための伝統的な配合で、各家々で代々受け継がれているレシピがあるとも言われます。
私も泥の準備現場を少し覗かせていただきました。暗闇の中、ランタンの明かりを頼りに、多くの男性が黙々と泥を練り上げています。その手つきは熟練しており、彼らにとってこの作業が単なる労働ではなく、モスクへの奉仕であり、共同体の一員としての誇りをかけた営みであることが伝わってきました。子供たちも小さな手で泥を運んだり、水を加えたりと、それぞれの役割を担っています。すでに祭りはこの準備段階から始まっているのだと感じました。
朝陽と共に始まる熱狂:グランド・モスクの塗り替え
祭りの朝は驚くほど早いです。まだ夜明け前の薄明かりの中、すでに町中の通りがざわめき始め、グランド・モスクへと人々が集まってきます。やがて太陽が地平線から顔を出すと、祭りはいっせいに始まりました。
数千人の男性が、裸足でモスクの壁に取り付きます。若い男性たちはモスクの高い壁をよじ登り、上から泥を投げ下ろします。下の男性たちはその泥を受け取り、素早く壁に塗りつけていきます。彼らの手はまるで生き物のように動き、壁のひび割れや剥がれた箇所をあっという間に覆い隠していきます。
祭りの様相は、まさに共同体のエネルギーが爆発するかのようでした。男性たちは皆、楽しそうに、あるいは真剣な表情で作業に没頭しています。「ヤーラー!」という掛け声が響き渡り、作業を鼓舞する歌や太鼓の音が鳴り響きます。女性たちは、大きな桶に水を汲んで運び、泥を作る手伝いをしたり、働く男性たちに飲み物を差し入れたりしています。子供たちも小さなバケツで泥を運んだり、大人たちの真似をしたりと、誰もがこの大きな行事の一部として参加しています。
この光景は、単なる建物の補修作業ではありませんでした。そこには、共通の目的のために全員が協力し合うことの喜び、伝統を守り継ぐことへの誇り、そして何よりも信仰の対象であるモスクに対する深い敬意がありました。汗と泥にまみれながら働く人々の顔は輝いており、共同体の強い一体感を感じさせました。
文化と信仰、そして共同体の絆
ジェンネの泥モスクの塗り替え祭りは、イスラム教の聖なる月の一つである預言者生誕祭(マウリド)に合わせて行われることが多いですが、その正確な日程はバニ川の水位や町の長老たちの判断によって決まります。この柔軟性もまた、自然と共に生きる人々の知恵なのでしょう。
この祭りは、単にモスクを維持するためだけに行われるのではありません。それはジェンネという共同体全体の社会的な絆を再確認し、強化するための重要な儀式でもあります。家族や親戚、友人が集まり、共に汗を流し、助け合う。このプロセスを通じて、世代を超えて伝統的な知識や技術が継承され、共同体の記憶が共有されていきます。祭りに参加する人々は、自分たちがこの偉大な遺産の一部であり、それを守り継ぐ責任があることを肌で感じているように見えました。
私は祭りの最中、何人かの地元の方と片言のフランス語や身振り手振りで話をすることができました。彼らは皆、この祭りを心から誇りに思っており、「これは私たちの仕事だ。私たちのモスクを守る大切な仕事なんだ」と笑顔で話してくれました。一人の老人は、子供の頃からこの祭りに参加していること、そして自分の孫も今、泥を運んでいることを教えてくれました。彼らの言葉からは、祭りに対する深い愛情と、共同体が一体となって生きる喜びが伝わってきました。
体験から得られた気づき
ジェンネの泥モスク塗り替え祭りは、私にとって忘れられない体験となりました。それは、単に壮観な光景を目にしたというだけでなく、現代社会では失われつつある共同体の強い結びつき、そして信仰と日常生活が密接に結びついていることの力強さを肌で感じたからです。
私たちはしばしば、歴史的な建造物を過去の遺物として捉えがちですが、ジェンネの泥モスクは、人々の絶え間ない手仕事と信仰によって今も生き続けているのです。この祭りへの参加は、文化や伝統というものが、書物の中だけでなく、人々の営みの中にこそ息づいているのだという、当たり前でありながら深い真理を再認識させてくれました。
また、グローバル化が進む現代において、自らのルーツや共同体を大切に守り継ぐことの重要性についても考えさせられました。ジェンネの人々は、外部の技術に頼ることなく、自分たちの手で、自分たちのやり方でモスクを守っています。その姿は、変化の波に抗うのではなく、自分たちの価値観をしっかりと持ちながら、未来へ伝統を繋いでいくことの可能性を示しているように思えました。
次にジェンネの祭りを目指す方へ
もしあなたがジェンネの泥モスク塗り替え祭りに参加したいとお考えであれば、いくつか準備しておくべきことがあります。まず、祭りの正確な日程は直前まで決まらないことがあるため、現地の情報収集は非常に重要です。通常は乾季の終わり、雨季が始まる直前(おおよそ4月〜5月頃)に行われることが多いようです。
ジェンネへのアクセスは決して容易ではありません。マリの首都バマコから車で数時間かかりますが、現地の治安状況には常に注意が必要です。信頼できるガイドやツアーを利用することをお勧めします。
祭り自体に参加する場合、泥で汚れても良い服装は必須です。また、日差しが非常に強いので、帽子やサングラス、日焼け止めなどの対策も必要です。町にはシンプルな宿泊施設がいくつかありますが、祭りの時期は混み合う可能性があるので早めに予約するのが良いでしょう。
最も大切なのは、地元の人々への敬意を忘れないことです。彼らは自分たちの伝統と信仰を誇りに思っています。写真を撮る際には必ず許可を得るようにし、祭りの神聖な雰囲気や参加者の熱意を尊重する姿勢を示すことが、より深い交流を生む鍵となるでしょう。
ジェンネの塗り替え祭りは、単なる観光イベントではなく、地域住民の生活と信仰に深く根ざした営みです。そのことを理解し、謙虚な気持ちで参加することで、きっとガイドブックには載っていない、かけがえのない体験が得られるはずです。